豊葦(とよあし)地区の紹介

 

豊葦地区は、標高約300〜900mまでの間にある、旧中頸城郡妙高村の前身、旧中頸城郡豊葦村の区域である。大区小区制で言うと、第十大区小一区四番組にあたる。

北側(標高の低い側)から土路、下樽本、中樽本、上樽本という4つの集落と、新興地域の斑尾からなる。最盛期では100戸以上もあった同地区だが、年々過疎化が進み、少子高齢社会を反映している地区の一つ、とも言える。

この地区が拓けたのは、鎌倉時代や室町時代など様々な説があるが、とにかくかなりの昔であるには違いなさそうだが、いかんせんこの地区に関する史料が殆どないため、周辺地域のあらゆる文献等から推測せざるを得ない状況である。(木賀本家の住宅倒壊時に消失したり、盗難にあったりしているため。)
幕末には、松代藩士で兵学者・思想家の佐久間象山が訪れたと見え、土路地区にはその書があるとのこと。また、上樽本の木賀本家にも佐久間象山か書いたと見られる掛軸がある。(こちらについては、現在筆者が調査中。)
明治期に、大区小区制や郡区町村編制法など幾多の変遷を経て、明治21年に制定された町村制に従い、豊葦村となった。その後、昭和30年に関山村・大鹿村・原通村の一部と合併し、妙高村となった。
なお、この地区も大昔は海の底であったため、貝類の化石が産出する。

春は新緑が美しく、残雪と共に日に照らされた山々の姿は、とても心が安らぐ。また、山桜や藤などが彩りを添え、沼の原湿原をはじめとして各所にミズバショウも咲き誇る。夏は木々が青々と茂り、田には緑色の絨毯が広がる。秋になると紅葉が美しく、田には黄金色の絨毯が広がる。県道97号沿いには、コスモスも綺麗に咲き誇る。冬は、一面が雪に覆われ、白銀の世界が広がる。

主な産業としては、水稲・畑作が中心で、炭焼きも行われている。山間部のため、水稲には厳しい条件が多いが、明治年間に木賀三四郎が提唱し、建設を開始した「峠隧道用水」が完成したことにより、水稲のみならず、全産業の条件がぐっと改善されたのは言うまでもない。
また、昔は石油や天然ガス、石炭や金なども産出していたが、いずれも少数で主産業としては成り立たなかったようである。
近年になり、以前から湧き出ていた上樽本の冷鉱泉を「樽本温泉」と銘打って、観光資源として活用している。(以前は「上樽本健康管理センター」という物々しい名前の施設内にあったが、現在は「樽本温泉センター」と改称し、豊葦地区協議会を併設している。)

なお、豊葦地区の殆どの山林は私有地である。そのため、無断での山菜採集や樹木伐採は禁止されている。また、ポイ捨て(特にタバコ)を含めて不法投棄も絶対にやめていただきたい。

 

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